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第1回大会は大阪・豊中球場だった

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ブーマー 投稿日時 2015年3月29日 21:32:09
便宜上“甲子園”という表現を使用しているが、正確には第1回大会は大阪・豊中球場 (第2回も同球場) で、その後第3回大会から第9回大会までは兵庫・鳴尾球場で、大正13年春の第1回センバツ大会は名古屋・八亊 (山本) 球場で行われている。甲子園球場で行われるのは、夏が大正13年の第10回選手権大会以降、春が大正14年の第2回センバツ大会以降である。
記念すべき第1回全国中等学校優勝野球大会が行われた豊中球場 (豊中グラウンド) は、大正2年5月に阪急電鉄の前身である箕面有馬電気軌道が開設した運動場。梅田と宝塚を結ぶ宝塚線の沿線 (大阪府豊能郡豊中村) に作られた運動場は陸上競技場を兼ねていたため、右翼が狭く左翼が広かったという。観客席もない質素なグランドで、試合場と観客の見物場所の境目には臨時に縄を張り巡らして第1回大会は行われている。22年に完成した宝塚運動場にその役割を移した後、閉鎖された豊中運動場の跡地 (現在の豊中市玉井町3丁目) は住宅地となったが、全国高等学校野球選手権大会発祥の地には高校野球メモリアルパークが建設されている。
第3回大会から7年間、阪神電鉄が建設した兵庫・鳴尾球場に場所を移したものの、人気の高校野球を見ようと押し寄せる大観衆にこれまたギブアップ状態。阪神電鉄は“東洋一大きい”新球場建設に乗り出すことになった。こうして大正13年に高校野球のメッカ・甲子園球場が誕生。球場の名前の由来は大正13年の干支「甲子」から。甲子園といえば高校野球の全国大会の代名詞となった。

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